人生の《処方箋的》映画考

この「ままならない人生」を歩むとき、一つの映画がそっと、背中を押してくれる時もあれば、優しく寄り添ってくれるときもあります。 心を癒し、また、鼓舞してくれる映画を中心に、感想を綴っています。

「365日のシンプルライフ」

 

  作品情報 

 

原題   TAVARATAIVAS

監督   ペトリ・ルーッカイネン

脚本   ペトリ・ルーッカイネン

主演      ペトリ・ルーッカイネン

公開   2013年8月16日

時間   80分

制作   フィンランド

 

  あらすじ 

 

26歳のペトリは、彼女にフラれたことをきっかけに、モノで溢れた自分の部屋には幸せがないと感じ、自分の持ちモノ全てをリセットする”実験”を決意する。ルールは4つ。         ①持ちモノ全てを倉庫に預ける  ②1日に1個だけ持って来る  ③1年間、続ける      ④1年間、何も買わない     毎日、モノを1つ選ぶたびに、自分自身と向き合うペトリ。「人生で大切なものは何か?」、究極の”シンプルライフ”から見えてくる。
                                                                                                   アマゾンプライムより

 

    感想   

 

やましたひでこさんの「断捨離」や、
こんまりさんの「人生がときめく片付けの魔法」が、
世間を席巻して久しいが、
最近は、「ミニマリスト」(最小限主義者)という言葉も定着しつつある。
 
溢れる「モノ」との付き合い方は、今までの「片付ける」から
本当に必要なもの以外「持たない」、
に既にシフトしているのかもしれない。
 
歴史を振り返れば、もともと「ミニマリスト」だった日本人。
 
しかし、
敗戦から奇跡の高度成長を成し遂げ、
日本人の「モノ」への向き合い方は急激に変わってしまった。
 
「モノ」がなかった時代から「モノ」があふれる時代へ。
 
便利になっていく生活を何の疑いもなく受け入れた結果、
日々の生活の中の「余白」をなくしてしまった、と感じる。
 
 
私たちは、今、いつの間にか溢れた、
目の前にある沢山の「モノ」の前で呆然と立ち尽くしている。
 
押し寄せる「モノ」にだんだんと居場所を奪われ、
心がかき乱され、集中力も失われ…
 
そして、ハタと気づく。
「モノ」に押しつぶされそうなこの居住空間は、
自分をイライラさせるだけだと。
 

フィンランドに住む26歳のペトリの奇想天外な実験は、
素っ裸で、雪の積もる街を倉庫に向かって疾走するシーンから始まる。
 
そう、とりあえず必要な「モノ」は体を覆い、寒さから身を守ってくれ、
ブランケットの代わりにもなる、コートだ。
 
素っ裸で床に転がって眠るのとは訳が違う。

たった一枚の布が、温かさと安心感を与えてくれる。
 
どれだけ、たった一枚のコートが有難かったことだろう、と想像する。
 
やれと言われても、普通の人はそこまでできないだろう。
 
ペトリの行動力に驚く。
 
2、3日目、ブランケット、靴。そして、ジーパン、シャツ、ふかふかのマット。
 
人間が生きていく上で、大切なこと。
それは「衣」「食」「住」です。と、小学校の家庭科の授業で習ったことを思い出す。
 
映像を見ているうちに、生きるために必要なものは、
そう多くはないのだ、ということに気づかされる。
 
極端なことを言えば、雨風がしのげる家があって、着るものがあって、
食べるものがあれば、人は生きていける。

足るを知れば、満足だ。
 
ペトリが100個も「モノ」を取り出さぬ間に、
「持っていきたいものがない」と倉庫の前で悩んでいたのは、
そういうことだと思う。
 

ソローの「森の生活」や、
禅僧のような生き方に憧れる。
 
「生きること」に集中して、生きる、とでもいうのだろうか。
余計なものを徹底的に削ぎ落して生きる、究極のミニマリスト
 

『持っているモノの多さで幸せは計れない。』
と、ペトリの祖母は言う。
 
自分の中の満たされないものを補おうとして、人は「モノ」を買う。
 
あれを持てば、きっと、他の人に認められる、
これがあれば、幸せになれるはず、と。
 
そして、まだ足りない、まだ満たされない、まだ幸せではない、と
次から次に、新しものを買い求めてしまう。
 
段々と、麻痺していく本当の自分。
 

人は、何も持たずに生まれ、何も持たずに死んでいく。
持っていけるものは、きっと頭の中にあるものだけ。
 
だから、大切なのは「所有」ではなく「経験」なのだ。
 

少し立ち止まり、考えてみたら、きっとみんな気づくはずだが、
それが難しいのは、そんなことに気づく暇もないほど、
社会は目まぐるしく変化し、情報が溢れかえっているから。
 
見たくなくても、見てしまい、
聴きたくなくても、自然に耳に入る様々な情報と広告。
 

しかし、裏を返せば、現代の文化から、
私たちは様々な恩恵を受けているのもまた、事実。
 
欲しいものはすぐに手に入り、便利な「モノ」が溢れかえり、
清潔な社会、健全な社会を享受している。
 
これほど、幸せなことがあるだろうか。
 

消費社会に躍らされながら、消費社会の素晴らしい恩恵を受け続ける。
 
 
結局、「モノ」と向き合う、ということは、
自分自身と向き合うことだ。
 
幸せは、持っている「モノ」で決まるものではないが、
ある「モノ」を持っていることが、ある人にとっては究極の幸せかもしれない。
 
幸せは、計ることが出来ない。
 
幸せは、それぞれの心が決める。
 
 
「モノ」に煩わされ続ける人生は望まないが、
「モノ」と上手に付き合い、自分自身の幸福度を上げていくことが、
大切なのだと思う。
 
 
ペトリのいとこの少年の質問が、
人間の本質を突いていて、
思わずうなってしまった。
  
『今、一番恋しいものは何?』

 

「欲しいモノ」ではなく「恋しいモノ」

 

私たちの心を満たしてくれるもの、

それは誰かの温もりだろうか?

それとも、ライナスのブランケットのように世界にたったひとつしかない、

自分だけの大切な「物」だろうか?

 

 ただ漫然と消費するのを止め、

今、買おうとしているものは、どうしても必要なものか、

それを所有することで、自分の心はどう変化するのか、

所有することによって、増える負担はなんなのか、

じっくりと、自分の心と対峙することが大切なのかもしれない。